なにやかにや暮らしていると僕らは、時々ちょっとした欲求を口にしてしまう。
あと30分長くあの店が開いててくれれば良いのにとか、あそこの道路がもう少し広くなったらいいのに、とかいろんなことを思う。
そんな僕らの小さな欲求が集まって、ともすればそれは「お客様のニーズ」になったり、「市民の声」になったりする。もうちょっとこうだったらいいのに、でもそうもならないか、というような最初はなんでもない、日々のぼやきのようなそんな欲求も、数が集まると雪だるまみたいに膨れていって、次第に強大な力を持ち始める。その結果、宅急便の配達時間は9時過ぎまでに伸びて、コンビニは24時間営業になって、首都圏では電車は一日20時間以上も運行している。
そうすると「便利」になる裏側で、労働時間はどうしても延びてくる。企業と消費者は二項対立するものではなく、同じ人間の違う顔でしかないから必然的にそうなってくる。以前よりも時間の無くなった僕らはもっといろんなことを外にお願いしたくなる。お店の営業時間は長いほうがいいと思うようになるし、チーズだって切れていたほうが食べやすくて便利だって思ったりする。そして自分の家の掃除もする時間があまりないから、誰かに大掃除をお願いしたいと思うようになる。だから最近はそんなハウスクリーニングのチラシ広告がポストに沢山入っていたりするんだろう。
いろんなものがどんどん分業化されて行き過ぎている実態がそこにはあるように感じる。
「お客様の要望」に答えるために、みんな自分の仕事に追われる時間がどんどん増えていく。それはBtoCでもBtoBでも同じこと。遅い時間でも対応してほしい、一日でも早く出して欲しい、一円でも安く売って欲しい。そんな要求に応えるように僕らは努力する。そして努力して帰りが遅くなった僕たちが今度は「お客様」になって、遅くまでお店に開いていて欲しいとまた思う。そんな風に欲求が連鎖して、どんどんサービスが膨張し続けていく。
自分の仕事はきっちりする。でも仕事以外のことは誰かに全部お願いしたい。だって時間がまるでないから。そんな風に思ったりするのかも知れない。
”こんな風に世の中はどこに行き着くのかわからないスパイラルに乗っかっている。”
いつもではないけれど、時折なんとなく僕はそんな印象を感じる。
それが悪いことなのかどうか断言するのは難しいけれど、すこし気持ち悪い気がするのはたぶん僕だけではないと思う。
だから、何かに不満をもったときにはこんな風に考えてみたらいいんじゃないかなと思う。
ただ単に「それならそれで、いいじゃないか」って。
みんな無意識に”more”を求めてしまっている。
それが欲求のあり方なのかもしれないけれど、それは例えばひとつ大きい自分だったり、いまより多くを持つ自分だったりする。
そしてそれは世間からもとても奨励される。
だけどたまに立ち止まってみてもいいんじゃないかな、と思う。
“less”であることを受け入れられるのもひとつの強さのあり方だって認められてもいいんじゃないかな?
「まぁ、いいか」という軽い気持ちが、実は随分とこの世間を生きやすいものにしてくれるんじゃないかと僕は真剣に考えるのです。
