このくらいの歳になってくると、昔は良かったかな、なんてときどき思ったりする。
そして昔の東京の映像なんかをテレビの中で見たりしては、あの時代の方がいまより幸せだったりするのかな、なんて思ってみたり。
でも、たぶんいつでも同じなんだろう。
いつでも昔は懐かしくて、なんだか凝縮された味がする。
本質はその過去にあるわけじゃないんだって知っている。
昔が良かったんじゃなくて、昔になることで良くなる。
時間が流れて、もう絶対に取り戻せない彼岸に行ってしまった、
そのときはどうでもよかった街並とか、人波とか。
時間のあちら側に行ったことで急に暖かい光を纏って見える。
だから、時には懐かしむのも悪くないけれど、
せっかくだったら、今を残そう。
未来の昔のために。




ベランダの黒猫
僕のベランダには、夏の終わりごろから勝手に住み着いた黒猫がいる。
勝手に住み着いたくせに縄張り意識は一人前で、僕が洗濯物を干す時なんかに窓を開けると、そのたびに「シャーッ」って言って威嚇してくる。ずうずうしい奴だなぁと思っていたら、まだ小さな子猫と一緒の母猫だった。
だいたい一月くらい経って、だんだんあっちも慣れてきたのか、開けた最初だけは形式的な威嚇こそするけれど、あとは「まぁ気にしませんよ」というような顔をする。こちらも特に世話を焼くわけでもなく、あちらも何かを媚びるわけでもなく、ちょうどいい距離を見つけて付き合っているようなそんな感じになってきた。
少し涼しくなったらいい加減ベランダも掃除しようなんて思っていたのに、そんなわけでそうもいかなくなってしまった。置きっぱなしのブルーシートが彼女らのお気に入りの寝床らしい。
なんだかわずらわしい様にも思うけど、昨日ふと、あの2匹もいつか居なくなるんだろうなって思ったら少し寂しくなった。それだったら、それまではお互いちょっとだけ気になりながらも付かず離れずやっていこうかなと思った。
量産品が生む犯罪のコモディティ化
まだ雨が降っている中、お昼に神保町は武蔵で鉄火丼を食べる。安くてそれなりに美味しい鉄火丼が食べれるとあって重宝しているんだけど、もしかすると最近 ちょっとマグロのクオリティが下がったかな、というような気がした。気のせいかな。季節のせいかな。昨日の日経にもマグロの話が載ってたけれど、いつかは 日常的には食べられなくなるのかな。マグロ好きとしてはそれは困る。
そして今日みたいな雨の日は傘でも困る。ビニール傘を使うことがほとんどだけど、安いビニール傘ながらそれなりいヒエラルキーはある。45cmくらいの小 さいやつから、70cmオーバーの大きなものまであって、値段も大きさに応じて違う。そしてビニール傘は大きいのを愛用しているから、ふと店先の傘立てな んかに置いて、店を出てきたときに45cmくらいのヤツと取り替えられてたりするとさすがに腹が立つ。
45cmの傘と70cmの傘なんて確実に間違えようが無いくせに、他人のものと分かっていてしれっと良い方を持ってく輩がいるというのが信じられない。
ありふれていてもはや匿名的とさえいえるようなレベルまでコモディティ化した物に対しては、犯罪意識までがコモディティ化しているんじゃないだろうか?自転車も全く同じ状況にあると思う。盗まれるのは没個性的で匿名的なまでにコモディティ化されたママチャリがほとんどだろう。
「たくさんあるなら、一つくらいいいだろう」
恐らく持っていく側としては、こういう心理なのだろう。
大量生産&大量消費で多くの物がコモディティ化したことの弊害は、実はこんなところにあるのかもしれない。
Massive Change
Massive Change と Design Quarterly No.4
友人の勧めがあってAmazonで購入。
カナダのデザイナーBruceMauの巨大プロジェクトというか、新しい概念の提唱というべき”Massive Change“について語ったのもの。
Massive Changeの公式web(http://www.massivechange.com/)の副題にはこうある。
“It’s not about the world of design. It’s about the design of the world.”
「これはdesignの世界の話ではない。世界のdesignの(世界をdesignする)話である」
これだけ大きな枠でデザインを取り上げたプロジェクトは無かっただろう。
しかしこれも逆の側面からみれば、designの定義についてある本であるとも読める。
まだ冒頭を読んだ程度での感想ではあるが、「designで世界を変える」という提示をしておきながらBruceはあえて話を始める前にdesignの定義を行っていない。これは実はこの本自体がdesignというtermの再定義を試みているからではないだろうかと思う。DesignQuarterlyの特集記事「マッシブ・チェンジの全貌」というBruce Mau Design(以下、BMD)へ訪問してのインタビュー記事ではマクドナルドの流通システムについて言及している。コカコーラの流通システムは非常に良くdesignされており、彼らはアフリカのど真ん中にコークを届けることが出来る、しかし国連機関が水を届けるのは非常に困難であるのはなぜか?という疑問を投げかけている。この問いの是非はともかくとして、この発言の中で使われている”design”という言葉は従来使われてきたdesignという言葉、少なくとも一般にカタカナ語でいう「デザイン」とは凡そ違う意味の言葉である。つまりBMDがMassive Changeを通して訴えいている”design of the world”とは今一般に認識さえているような意味での「デザイン」でもって世界を変えるというのではなく、むしろ「 x が世界を変える」という命題を掲げて、あらかじめ変数 x = design と置き、その命題を成立させることが出来るような意味こそがdesignである、とする考え方なのではないだろうか。
そういった意味において、この本は現在デザイナという職にある人たちにとっては夢のある話であると同時に非常に過酷な要求をしている本であるともとれる。というのもこの本でもって再定義されるであろうdesignという言葉は非常に広義の意味をもつものであり、それゆえデザイナには非常に多くの知識と学習を要求されるからである。それは例えばオーケストラの指揮者の様な立場であろう。指揮者というものは素人が一見すると痛そうな顔をしてただ白い棒を振っているだけの楽な人、という風に写るかもしれないが、現実には指揮者は全てのパートの譜面を暗記し、各プレーヤーの癖を把握し、それを一つの音楽として構築する非常に重要な役割を担った人である。BruceMauがMassiveChangeを通して再定義する”design”を行うdesignerという人は、非常にタフで知的で視点が鋭く、また複雑に絡んだ高次の問題に対して明確で具体的なソリューションをアウトプット出来なければならないだろう。
(つづく)
Contax G1
前からちょっと欲しかったこのカメラ。
写真をやりたいというあの子の誕生日にプレゼントして、そのあまりの写りの良さに本気で自分でも欲しくなってしまった。同じカメラ持つのもなんだから別のカメラでも持てば良かったのでは?という気もしたのだけれど、レンズが共有できるのは便利だし、今だと中古で破格値で手に入ることもあって思い切って買ってしまった。

Nokia 705NKにて撮影(この携帯のカメラも写りがいい!)
各方面で昔からいろいろ良くも悪くも有名なカメラであって、オートフォーカスの遅さ、マニュアルフォーカス時の使いづらさ(直感的ではない操作)は確かに指摘されている通りだと感じた。しかしそうした癖も理解してあげて付き合っていく分には十分すぎるくらいにいいカメラである。なによりその写りの良さといったら、もう、素晴らしいの一言である。
たとえばこの一枚。三鷹の駅前どおりの焼き鳥屋にて。

Contax G1 / Biogon 28mm
提灯の存在感のリアリティたるや、 なんとも素晴らしい。
これからいろんなものをこのカメラで撮っていきたいと思わせるだけの魅力がある。
ところでこのContaxを撮った705NKのカメラも予想以上に写りが良くてこれまた驚き。
今年はContaxと705NKでいろんな風景、いろんな一瞬を切り取っていけたらと思う。
それに添えて気の利いた文章の一つでもかけたなら、それはすごく幸せなことだろう。


